美しい国、日本
どこが、どんなふうに、美しいのでしょう。
これから、広島平和記念資料館に行ってきます。
私は「戦争を知らない子どもたち」の世代ですが、今は「戦争を知らない孫たち」の世代が若い世代を作っています。
戦争を知る世代があって、戦争を知らない世代があって、さらに次に来るのが、戦争を知る世代にならないことを祈るばかりです。
教育基本法の改正、そして、憲法改正。集団的自衛権という言葉が指すものは何なのか。
若い世代のひとたちは、よく考えて、これからの大人を見ていってほしいと思います。
「国家の品格」という本をうまくとりこんだ、マーケティングの手法をふまえた所信表明演説でした。
さて、10月1日深夜の「凱旋門賞」で、ディープインパクトは、どんな活躍を見せるのでしょう。
もしも、勝ったら、美しい国、日本を代表する競走馬として、国民栄誉賞が送られるのでしょうか?
何度も行っているのですが、今日も、原爆ドームの「美しさ」をじっくり見てきます。







■コメント
悲惨な歴史の上に成り立っているのにも関わらず広島、とりわけ原爆公園は美しいところでした。
ちなみに、これまでの経験上美人は自分のことを美しいとは言わないような気がします。
posted by けーいち | 2006年09月30日 20:46
8月15日の式典は、テレビや新聞で何度もみてきましたが、実際に足を運んでみてはじめてよくわかることもあると強く感じました。なぜ広島だったのか、なぜ広島のこの場所だったのか。持っていることは使わざるを得ない状況を準備することもふくめ、この悲惨な経験は、日常の積み重ねの先にある経験であると感じられました。
posted by (COOH)2 | 2006年09月30日 21:42
夕日に照らされた原爆ドームは、本当に美しい姿をしていました。あんなにも悲惨な過去を伝えているのに、美しいと感じるのはなぜなのでしょうか。
明日もまた、美しい日本の世界遺産を見に、宮島へ行って来ます。
posted by みずぽん | 2006年09月30日 21:50
戦争を知らない”子ども”です。広島に行ったこともなく、原爆ドームも見たことがありません。ですから、どこがどんなふうに美しいのか教えて下さい。そして何故 美しい に「 」がつけてあるのかも、ついでに教えて下さい。読んだらドームを見に行ってみたくなるような答えだといいなあ。
ミズボンさん、美しいものを見て感動できるあなたは素晴らしい!でもちょっと待って。本当に原爆ドームは美しかったのですか?あなたが感動したのは原爆ドームの美しさではなく、”夕日に照らされた”ドームの美しさですよね。だとしたらあなたに感動をもたらしたのは実は、ドームを前景にした時見えた”夕空の美しさ”ではないですか? どんより曇り空の下のドームだったら美しいと感じたでしょうか。 夕日はそれだけで美しい、しかし原爆ドームという「醜」を前に配することによって、一層際立って美しく感じられる夕日をあなたは見た・・のでは?
因みに夕映えの富士山は息を呑むほど美しい。しかし富士山は曇り空でも何でもかんでも、たとえ見えなくったって美しい。それは富士山が自然の一部だからです。ドームは人造物です。
posted by 「野生のエルザ」大好き | 2006年10月01日 09:21
原爆ドームを見て、朕も美しいと感じました。日本人である朕が感じた美しさは「もののあはれ」と言えばより判りやすいでしょうか。それはむしろ破壊された人造物だからこそ心に浮かんだのかもしれません。
posted by 綺人皇帝ルドルフ | 2006年10月01日 12:22
原爆ドームを美しいと感じる気持ちを、私はよくわかります。
私達、人間の心が弱く醜いこと、戦争が悪であることを、忘れまいと、私達のために必死に、自らに刻みつけるためにたたずんでいるから、美しいのだと思います。
総理の所信表明も、こういうレトリックからはじめてほしかったです。
もっとも、安倍さんのおっしゃる美しい国は、原爆ドームではなく靖国記念館にあるのでしょうが。
posted by 美しい北朝鮮 | 2006年10月01日 13:07
ある町の平和な1コマに、遠くからジョージの声
ユダヤの民「イスラムさん、あなた方のアル=アクサモスクは美しい」
イスラムの民「キリストさん、あなた方の悲しみの道は美しい」
キリストの民「ユダヤさん、あなた方の嘆きの壁は美しい」
posted by 美しい国、アメリカ | 2006年10月01日 14:00
広島には来たことはありましたが、資料館には初めて立ち寄りました。
率直な感想ですが沖縄のひめゆりの塔などとは別の怖さを感じました。
一瞬で人が死んで、助かった人も重い後遺症を患ってしまうという最悪な兵器を今だに所持し、開発する国があることは恐ろしいことだと思います。
posted by アカギツネ | 2006年10月01日 14:08
戦争が無くなることは有り得ないと言う話を何処かで聞いたことがあります。しかし仮にそうだとしても、朽ち果てた原爆ドームを目の当たりにして戦争を無くす為の努力を決して絶やしてはならないと思いました。
あと原爆ドーム、記念公園、資料館と外人の方が大勢いたように感じました。彼らはこの地を訪れてどんな気持ちを抱いたのだろうと思いました。
posted by シウマイ弁当 | 2006年10月01日 18:52
ディープインパクトは惜しくも3位でしたが、その健闘に涙をした方々もテレビに映って、ただ順位だけで決められるものではないなと思いました。戦い続ければ、栄誉は人々の心の中にこそ花開くものでしょう、美しいです。外国の方はディープインパクトや武豊騎手をどう讃えているのでしょうか。
広島。あの戦争は、人類全体が「戦い方」を間違えていたのではないでしょうか。そしてその過去は、どんなに辛い記録を見ても、どんなにその事実が恐ろしいものであっても、それを体験していない人々にとって、人生の中で「もう犯すまい」と心に誓うほど深くは刻まれないのかもしれません。
ただ、たとえばベンヤミンの言うような「アウラ(いまここに在るという特性)」が、原爆ドームや折り鶴のモニュメントや広島に確かに存在し、その希少性と人の心を打つ確かな印象がそこにあるとするのなら、人はそれを見て「美しい」と言葉にするのでしょう(それはアウラの消失した写真や言葉を補ってくれます)。美しさは、「きれい」に属するもののみを語らず、悲しい気持ち、辛い気持ち、なくしたくないという思い、そういったものも含んでいると思います。美しいという言葉があまりにもきれいな言葉だとするのなら、私はドームを見て「嬉しい(少しでも分かり合えて)」と言うでしょうか。その時の「嬉しい」の意味は、ちょうど「楽しい」という言葉とのニュアンスの違いに着目することで見いだされます。
広島という土地のアウラを介し、時を超えてコミュニケーションを取り、そこに何らかの相互理解(つながり)を得られた時、一人一人が戦争というものを考え、そしてこの世界に今起こっている争いに目を向けていくことになると思います。戦争はなくならないかもしれないけれど、たとえばユングが大戦について語ったように、大切なのは、「いかに相手との対話の際の緊張に耐えられるか」で、そのためには、私たち一人一人が「考え続ける」ことだと思います。
posted by Gutenberg | 2006年10月02日 13:37
Gutenbergさん、大人っぽくて もっともらしい 「美しい」まとめ をありがとうございました。この「美しい」は更に加えて、「謎めいた」という意味をも含んでいます。
「知る」ということは、自分が体験して初めて解ること。
なぜ戦争がなくならないのか。
それは、私達が戦争を知らないからです。 戦争がどんなに悲惨であっても、私達はそれを本や資料や体験者の話からしか知ることはありません。 本当の意味で戦争を知ることはできないということです。 丁度、友だちが転んでひざを怪我して痛がっているのを見て、辛そうで、可哀想で でも痛いのは私ではない、実際私のひざは全然痛くない というのと似ています。 結局どんなに痛いかは自分が転んで怪我して初めてわかることです。
戦争がなくならないのは、人間が戦争を「愚かな行為」だと「本当」には解っていないからで、それをこのワカランチンの人間自らに、しかと解らせるために、まるでそれを確かめるように、わかっちゃいるけどやってしまうからだと思います。 ケンカは売る方と買う方の両者がいて成り立つものです。最初に手をあげた方が悪い。悪いと自覚していないから、なお悪い。それを善いことだと思い込んでいるバカがいる。売られたけんかを買うバカがいる。”お前達どっちもバカじゃない?”という話です。一旦やり出したらもう引っ込みがつかなくなって撤退する勇気なんてどこかへ飛んでいってしまう。そうやっているうちに本当に本気になってしまうからいくところまでいってしまうように、子どもの私には見えるのです。 誰かが上手に割って入って穏やかに智恵を示してあげればいいのにと思います。戦っている双方が、この「誰か」の智恵を理解できなくても、どちらか一方が たとえ振りでもいいから あたかも解ったかの様にその戦いを放棄すればそれでGame Overです。
あの戦争は「戦い方」を間違えたとすれば、「正しい」戦い方があったということですね。今起きている戦争にも正しい戦い方があるということですね。 あるとすれば、それを「知っている」振りのできる「誰か」が「キレない戦い方」を自ら示して教えない限り誰も気付けないでしょう。
科学技術が進歩すれば当然対処の仕方も変わっていきます。
この先人類が進化し科学が進歩しても、その「正しい戦い方」などというものを知ることがあるのだろうかと思う一方、人間は愚かだけれど、”バカは死ななきゃ直らない”ほどバカじゃないと思うし、そうであって欲しい、いや、そうでありたいと思います。
結局人類の進化、科学の進歩は人間が「愚かである」ことを知るためにあるという気がしてくるのは何故でしょうか・・・?
ドームを「観る」ために 広島へ行ってみようと思います。
posted by 永遠のエルザ | 2006年10月06日 19:32
日本が被爆国ということは誰しもが知っていること。僕自身、そのことを知っていて、その被害が大変悲惨だったということも知っている。
広島資料館には6年前に行ったことがある。
今回、再び資料館に行って被害の大きさが自分がかつて思っていた以上の被害であったことに気が付いた。
印象に残ったのは爆発後に爆心地付近からの風景を写したパノラマ写真だった。広範囲にわたり家も木も何もなかった。後で知ったのだが半径2kmこの状態にしたらしい。何もかもなくしてしまう核というものにいままでにない恐怖を感じた。
始まりがあり終わりがある。繁栄したが滅んでしまった文明はこれまでたくさんある。どのようにして滅びたかはわからないが、資料館のパノラマ写真を見て、今、生きている僕達の世界は核によって滅びてしまうのだろうかと思った。
posted by 侘助 | 2006年10月17日 17:30