わかっちゃいるけど、やめられない。
あ、ほりゃ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスィー
私のカラオケ定番「スーダラ節」の植木等が亡くなりました。
青島幸夫に続いての訃報で、私も、とても寂しく思っています。
クレージーキャッツのファンであった小学生の私は、紅白歌合戦を見るとき、夜9時以降までおきていられなかったので、「ほら、さとし、クレージーキャッツが出るよ」と言われて眠い目をこすりながらやっとのことで、一曲見て、そして、また寝るのが大晦日の年中行事でした。
シャボン玉ホリデーで「およびじゃない」のコントを見るのも好きでした。小学6年生のときに、コント55号が学校にロケに来ても、その後、「8時だよ、全員集合」がテレビで始まっても(ただ、この番組は生放送のすばらしい番組なので、DVDを取り揃えている)、クレージーキャッツ好きは変わりませんでした。
「わかっちゃいるけど、やめられない」は、今、私の臨床では、神経症の説明に使わせてもらっていますし、認知の問題や親子関係の相談においては、「みなさんは、頭ではわかっているけど、心の底では分かっていないのです」「分かっていると言う人ほど分かっていません」「ほんとうに分かった人が自分を変えることができます」「できないのは、分かっていないからです」とよく言います。
ぜひ、みなさんも、「わかっちゃいるけど、やめられない」という言葉の重要性を感じてください。それが、私のお悔やみの言葉です。






