ここでも視点の移動を

鎌倉コロキアムのCPクラブで、江ノ島のヨットに乗ってきました。
この写真は、救助艇のボートから、CPたちのヨットを写したものです。
昨日、小田急ヨットクラブの協力により、インストラクターと救助艇つきの「しなやかに海を走る」企画がありました。
とても天候に恵まれ、風も波も陽も、ヨットにとっては、申し分ないものでした。
風を切りながら、ヨットを走らせている最中に、ちょっと、釣り糸をたれたら、50センチあまりのさわらと、25センチぐらいのいなだが釣れました。CPたちも、バケツをはみ出して、船上をはねまわる魚を見て、びっくりしたと同時に、魚って海にいるんだということを実感してくれたことでしょう。
前回のブログにて、雲の上から見ると国境はないという話を書きました。今回も、思ったのは、陸から見る江ノ島や湘南の海と、海から見る江ノ島や湘南海岸や海辺の景色は、まったく異なるということです。
そして、沖には、海上保安庁の巡視船「やしま」が停泊中でした。今回のアレンジをしてくれた私の友人が、以前横須賀にヨットで行ったとき、当時の空母「キティホーク(これもいぜん、63という旗艦番号なのだということをこのブログに書いたと思いますが、退役して、今度は、別の原子力空母が来ます)」がいたので、近づいていったら、ヨットに「銃を向けられた」と言っていたので、ちょっと、海猿もこわかったですが、大きな双眼鏡でちらと見られた程度ですみました。
私たちが世界を見るときに、私たちが見慣れた世界から、私たちがそれまでに考えてきたように、その世界を判断するものです。常識とか通念とか権威とか、私たちの考え方を規定するものは身の周りにたくさんあるので、自分たちが、どうしてそう考えるのかを振り返ることはほとんどありません。
ところが、同じときに同じものを見ても、見ている人によって感じ方が違うのがあたりまえです。それを同じように感じさせようとするのは洗脳であり、そのおしつけによって、たくさんの命が奪われることだってあります。
沖から見た陸の風景は、積み木のようにかわいらしく、模型のように整然として見えました。それは、陸から見た海を、大海原とか、わー海だと感じるのとは異なる感覚です。しかも、さっきまで、そちら側ににいたのに、そちら側にいたときに感じていたことを違うことを感じるのですから不思議です。
だからこそ、「視点の移動」はとても大切に私は思います。






